振り返ってみて、最近よく思うことがあります。
僕らがSMを続けてきた時間は、ずっと「足し算」じゃなかったということ。
始めた頃の興奮、夢中になって新しいことを試した時期、行き過ぎて引き戻した夜、そして今いる場所。
並べてみると、ぜんぶがひとつの弧として繋がっている気がするんです。
今日は、その弧の話をします。
具体的なプレイの中身というより、どんな順番で、どんな気持ちの変化を通ってきたか――そういう話です。
① 目覚め――「これって、もしかして」
最初に何かが点いたのは、本当に何気ない瞬間でした。
僕らがSMを始めるきっかけになった夜のことは「僕らがSMを始めたきっかけ」に書きました。
特別なことじゃなく、ピロートークでぽつりと出た一言が始まりでした。
ただ、あれは「始まり」というより「目覚め」だったと思います。
何かがゼロから生まれたわけじゃなくて、もともとそこにあったものに、ふたりとも気づいてしまった。
そういう瞬間でした。
「これって、もしかして」が、ふたりの間に芽生えてしまった。
それまでの自分たちのセックスが、ふつうに満ち足りていたぶん、これは大きな出来事でした。
幸せに穴が開いたわけじゃない。幸せの中に、新しい部屋が見つかったみたいな感じです。
ここから、僕らの弧が始まりました。
② 急加速――「もっと」が止まらなかった時期
目覚めたあとに来たのは、たぶん多くのカップルが通る「加速」の時期でした。
新しいプレイを試して、よければ次へ。
ちょっと激しいことに踏み込んで、よければ次へ。
道具を買ってみて、効いたら次の道具へ。
「もっと激しく」「もっと深く」が、いつも視界の少し先にあった時期です。
この時期、僕は楽しかったし、彼女も楽しんでくれていました。
新しいことを試すたびに、ふたりの世界が広がっていく感覚がありました。
首輪をつけてみた夜もこの時期の出来事です。あの夜、僕らは確かにひとつ階段を上がった。
ただ、振り返ると、この時期の僕は「進む=足す」だと信じきっていたんです。
SMやD/sは進化するもので、進化とは新しいことを取り入れることで、止まれば後退する。
そういう、ぼんやりした空気を吸っていた気がします。
世の中の情報が、たぶん、そう感じさせる作りになっています。
メディアの中のプレイは派手な方ばかり目立つし、誰かの体験を読めば、自分たちはまだ入口に見える。
「次のステップ」が常に視界の先にある。
この空気の中にいると、ふたりは自分たちのペースを忘れていきます。
③ 引き算――やめる、という選択をした夜
転機は、ある夜の話し合いでした。
ある激しめのプレイを試したあと、ふたりで調べてみて、僕らは「これはやめよう」と決めたんです。
中身は別の記事に書いたので、ここでは繰り返しません(「引き算のSM――僕らが首絞めをやめた話」)。
このページで書きたいのは、この夜の弧の中での位置づけのほうです。
あれは「やめた一夜」というより、僕らの弧の折り返し点だったんだと、いま並べてみて分かります。
それまで「次は何を試そう」とだけ考えていた視線が、あの夜から「いま手の中にあるものは、これでいいのか」を確かめる視線にも開いた。
ここで僕は初めて、「引き算」も進化なんだと気づきました。
新しいことを取り入れることだけが前進じゃない。
合わなかったら戻る、危なかったら降りる、しなくていいことはしない――
これが選べる関係こそが、続いていける関係なんだと。
加速していた時期の自分が、「次は何を試す?」ばかり考えていたのと比べると、ここから僕の見方が変わりました。
手の中にあるものを、ちゃんと味わうほうへ。
④ ちょうどいい――到達点ではなく、続けやすさ
そうして今、僕らがいるのは「ちょうどいい」と言いたい場所です。
ここで急いで補足しなければいけないことがあります。
「ちょうどいい」は、ゴールでも到達点でもありません。
続けやすい強度・続けやすい頻度・続けやすい中身、というだけの意味です。
具体的には、たとえばこんな感じです。
- 新しいことは、たまに試す程度。「次は何を試す」が頭の中心にない、というだけ。
- 激しい夜も、軽い夜も、その時のふたりに合う温度を選ぶ
- 道具は揃ったぶんを使い回す。揃えるために何かを買うことは、たぶんもうあまりない
- プレイの濃さは、その日のふたりが決める。昨夜と今夜は違っていい
- 終わったあとの時間を、たぶん前より丁寧にしている
これは、加速していた頃の自分が見たら「停滞」に見えるかもしれません。
新しいプレイを増やしていない。道具を増やしていない。技を磨いていない。
でも、ふたりの夜は、たぶんいちばん充実しているんです。
加速の時期は、新しいことの興奮に支えられていました。
今は、新しさではなく、互いをよく見て調整すること自体が、夜の本体になっています。
これは別の観察の話に書いたのと地続きで、加速の時期には頭で分かっても体では分からなかった感覚です。
「ちょうどいい」は、強度の到達点でなく、関係の持続可能性のことだと、いまは思っています。
弧そのものが、ふたりの形だった
ここまで書いてきて、ひとつ思います。
僕らの「ふたりの形」は、特定のプレイや道具や役割じゃなくて、この弧そのものなんじゃないか、と。
目覚めた瞬間も、加速した時期も、引き算をした夜も、今のちょうどいい場所も、ぜんぶが繋がってひとつの形になっている。
どれかひとつだけ切り取って「これがふたり」と言うことはできません。
全部が必要だったし、全部が今に効いている。
これから先も、たぶんまた小さな目覚めや、小さな加速や、小さな引き算が来ると思います。
そのたびに、僕らはまた少し別のところに行く。
この弧は、たぶん閉じない――そう思えていることが、いま、いちばんの安心です。
まとめ
- 僕らがSMを続けてきた時間は、ずっと「足し算」ではなく、ひとつの弧だった
- ① 目覚め:ふたりの中にもともとあったものに気づいた瞬間
- ② 急加速:「もっと激しく」「もっと深く」が止まらなかった時期。世の中の空気が”進む=足す”だと感じさせる
- ③ 引き算:あるプレイをやめた夜から、減らすことも進化だと気づいた
- ④ ちょうどいい:到達点ではなく、続けやすい強度と頻度。新しさよりも、互いをよく見て調整することが夜の本体になる
- ふたりの形は、特定のプレイや役割でなく、この弧そのものだった
加速の時期にいる人がいたら、「いつかは引いていい」と知っておいてほしいです。
引いた先にも、ちゃんと景色があります。
痛い・無理を言える関係を土台に、急がず、減らすことを恐れずに。
弧は、長く描いたほうが、たぶん深く描けます。

