SMやD/sの話は、たいてい「足し算」で語られます。
新しいプレイ、新しい道具、もっと強く、もっと深く。
僕らのこのサイトも、振り返れば「できることが増えていく」話が多い。
でも今日は逆の話をします。僕らが、あるプレイを「やらない」と決めた話です。
そしてこれは、僕らがこれまでに下した判断の中で、いちばん誇れるもののひとつだと思っています。
僕らも、流れの中にいた
きっかけは自然な流れでした。
プレイの幅が広がっていく中で、息を詰まらせるようなプレイ——いわゆる首絞めにも、軽く触れたことがあったんです。
AVやエロ漫画では定番の演出だし、彼女の反応も悪くなかった。
「激しさ」の記号として、メニューに加わりかけていました。
たぶん、多くのカップルがこの場所を通ります。
そして多くの場合、深く考えないまま「定番」としてメニューに残る。
僕らも、そうなりかけていました。
調べて、青ざめた
転機は、いつもの習慣でした。
新しいことを取り入れる前に調べる——僕らがずっと続けてきたルールです(この習慣の始まりは「僕らがSMを始めたきっかけ」に書きました)。
調べて分かったことを、結論だけ書きます。
首絞め(呼吸や血流を制限するプレイ)には、「これなら安全」というやり方が存在しません。 浅くても、短くても、経験者でも、です。
意識や記憶への影響は蓄積的で、しかも「大丈夫だった」と「危なかった」の境界が、外からも本人からも分からない。
世界中の経験豊富な実践者たちのコミュニティでさえ、これは「リスクを消す方法がないプレイ」として扱われています。
そしてもうひとつ、僕が個人的に引っかかったことがあります。
酸素や血流を絞るということは、脳の状態を直接いじって快感を作るということです。
道具や言葉で感覚を遊ぶのとは、原理が違う。
これは癖になりやすい構造だし、エスカレートの坂道が最初から組み込まれている。
「気持ちいいからもっと」が、他のプレイより速く、深く進む。
「やってみて、やめる」を選んだ
ふたりで話しました。
隠さずに、調べたことを全部共有して。
結論はシンプルでした。「これは、快楽がリスクに見合わない。やめよう」。
正直に言うと、少しの寂しさはありました。
盛り上がる演出をひとつ手放すわけだから。
でも話し合いの後に残ったのは、不思議なくらい澄んだ安心感でした。
彼女は「ちゃんと考えてくれてるんだ」と感じたと言い、僕は「この人とならどこまでも安全に遊べる」と思った。
プレイをひとつ減らして、信頼がひとつ増えた。 完全に黒字です。
「引き算」は後退じゃない
この経験から、僕は「引き算のSM」という考え方を持つようになりました。
SMの世界には、目に見えないエスカレートの圧力があります。
AVは常に過激な方へ演出を盛るし、「慣れたら次のステップ」という空気もある。
気づかないうちに「進む=足す」だけが正解みたいになっていく。
でも本当は、「やってみて、合わなければやめる」「リスクに見合わなければ選ばない」も、同じ重さの選択肢なんです。
リスクを理解した上で、ふたりで選ぶ——この考え方はRACKと呼ばれる、世界のBDSMコミュニティの土台にある安全哲学そのものです。
やめる判断ができる関係は、未熟どころか、いちばん成熟しています。
ちなみに僕らは、首絞めをやめてもセーフワード(合図)は手放していません。
むしろ逆で、合図は他の激しいプレイのために必要なもの。
「これはやめる」「これは合図つきで楽しむ」——プレイごとにリスクと向き合って仕分けする。
その仕分け作業こそが、ふたりの世界を長持ちさせるメンテナンスなんだと思います。
まとめ
- SMには見えない「エスカレートの圧力」がある。足し算だけが進化に見えてしまう
- 僕らは首絞めを試し、調べ、「快楽がリスクに見合わない」と判断してやめた
- 呼吸や血流を制限するプレイに「安全なやり方」は存在しない。このサイトでは扱わないし、推奨しない
- 「やってみて、やめる」は後退ではなく、リスクを理解してふたりで選ぶ成熟(RACK)
- プレイを減らして信頼が増えるなら、それは黒字
あなたたちのメニューにも、「なんとなく定番になっているもの」はないでしょうか。
一度ふたりで、リスクの目で棚卸ししてみる——それも立派な、ふたりの夜の過ごし方だと思います。
安全の約束
このサイトの記事は、二人の合意と安全を前提にしています。相手の同意なく試さないこと。少しでも不安があれば、行為の前に話し合うこと。そして、終わったあとは互いをケアすること。


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