対等になっていく、という育ち方――役割が固定だった僕らが、攻守をほどいてきたまで

始めた頃の僕らは、見事に固定でした。

僕が攻め、彼女が受け。
僕が導き、彼女が委ねる。
BDSMテストを受けたら、僕のドム側の数値は突き抜けていて、受け側はほぼゼロ。
「うん、こうだよね」と笑って、固定の役割で、いろんな夜を重ねてきました。

ところが、それから少しずつ、僕らの形がほどけてきたんです。
今では、日によって、流れによって、攻守を交換できるようになっています。
ふたりともスイッチかもしれない、という気づきは前に書きました。
あの記事は「スイッチって何か」を中心に書いたので、今日はその前――どんな順番で、どんな小さな変化を通って、僕らが対等のほうへ向かってきたかという過程の話をします。

目次

① 完全に固定だった頃

最初は、それで充実していました。
彼女が委ねるのを楽しんでくれて、僕がそれを受け止めるのを楽しんでいた。
お互いの役割がはっきりしているぶん、迷いがありませんでした。
「次は何をしようか」「これをしてみよう」――決めるのは僕で、彼女はそれに乗ってくれる。

この時期に役割を疑ったことは、たぶん一度もありません。
首輪をつけた夜も、この固定の延長線上にありました。
僕は導く側として、彼女は委ねる側として、それぞれの心地よさが満ちていた。

ただ、今になって振り返ると、固定にはひとつだけ見えにくい癖があったと思います。
「これがふたりの形」と決まりすぎていると、役割の外にある可能性が、視界から消えるんです。
僕らはたぶんしばらくの間――もしかしたらもっと長く――その固定の中に、心地よく留まっていました。

② 彼女が、能動的に動き出した

最初の変化は、僕の側ではなく、彼女の側から起きました。

きっかけは、たぶんいくつかあったと思います。
理由の整理は別の記事に譲るとして、ここで書きたいのは、僕がそれをどう受け取ったかのほうです。

最初は本当に、小さな兆しでした。
夜の中で、ふだんなら待っているはずの場面で、彼女が自分から動いた。
何をしたかは省きますが、「いつもの受け身じゃない」何かが、ふいに彼女から差し出された夜があったんです。

正直、僕は最初、戸惑いました。
「役割が崩れる」と思った節があります。
予定していた流れと違うものが目の前にあって、どう受け取っていいか迷った。

でも、彼女の表情を見たとき、それがただ「やってみたかったんだ」と分かりました。
彼女は意地悪をしているわけでも、僕を試しているわけでもなく、ただ、自分の中に生まれた小さな衝動を、僕にぶつけてくれていた。
そう分かった瞬間、戸惑いはほどけていきました。

このことを、僕は彼女から差し出された夜の記事にも書きました。
あの夜が、たぶん、僕らの「ほどけ」のいちばん最初のドアでした。

③ 僕が、「受け取る」側に立つことを覚えた

彼女の能動が出てきたとき、僕がしなければいけなかったのは、それを受け取ることでした。

これは、思った以上に難しかったです。
ずっと「与える側」「導く側」だった人が、急に「受け取る側」に回るのは、技術的な切り替えじゃなく、気持ちの置き場所の切り替えだったから。

僕の中には、「導く側が受け取り始めたら、ふたりの関係は崩れるんじゃないか」みたいな不安が、最初は確かにありました。
役割を譲ることが、自分の責任を放棄することのように感じた。
だから「ありがとう」と受け取るより、「いや、僕がやるから」と差し戻したくなる瞬間が、何度もありました。

でも、それを何回か繰り返しているうちに、気づきました。
彼女が能動を出してくるのは、僕に「降りろ」と言っているわけじゃないんです。
彼女の中に育った気持ちを、僕という相手に表現したいだけ。
それを受け取ることは、責任を放棄することでも、役割を壊すことでもない。
むしろ彼女からの信頼の差し出しを、ちゃんと受け取らないほうが、関係を冷やすんだと分かってきました。

このフェーズは、僕の中の「与える」「導く」「責任を持つ」が、ずいぶん柔らかくなった時期だったと思います。
「尽くす」と「導く」は両立する、と書いたのも、ここの延長線上の発見でした。

④ 日によって、流れによって――対等が選べるようになった

そうして今、僕らは「日によって、流れによって、対等が選べる」関係にいます。

これは「常に対等」とか「常に交換する」という意味じゃありません。
今でも、多くの夜は僕が導いて、彼女が委ねます。
そのほうが、ふたりとも気持ちよくいられる夜のほうが、たぶん多いです。

でも、その夜の流れで、彼女が能動を出してくれば、僕はそれを受け取れる。
僕が今日はちょっと甘えたい気分なら、それを表に出せる。
役割が、ふだんは緩く着られていて、夜のテンションで自然に決まる――そんな感じになりました。

対等になっていく過程で、ふたりに育ったもの

ひとつだけ、書いておきたいことがあります。
「役割が固まっているほうが楽」というのは、確かに僕らもそうでした。
ただ、僕らの場合は、ほどけたほうがもっと楽になった――という話です。

固定の時期は、確かに迷いがなかった。
でも、その迷いのなさは、可能性に蓋をすることで成り立っていた側面があります。

対等になっていく過程は、最初は戸惑いも、ぶつかりも、ありました。
「ここまでは攻めていい?」「これは受け取っていい?」を、ひとつずつ確かめながら進む手間がある。
でも、その手間の先にあったのは、もっと深い信頼でした。

攻める側にとっていちばん大事なのは観察すること、というのは、相手が能動的に動き出す可能性を持っている人だと、いっそう真剣になります。
「いつも受け身」と決めつけずに、相手の中で何が動いているかを見続ける。
終わったあとのケアも、攻める日と受け取る日で違うかもしれない――そういう柔軟さが、ふたりに育ちます。

対等になることで、ふたりの可能性を使える幅が広がる――というのが、ここまで来てたどり着いた実感です。

まとめ

  • 始めた頃の僕らは完全に固定だった。僕がDom、彼女がSub
  • ① 固定の時期:迷いがない代わりに、可能性が視界から消えていた
  • ② 彼女が能動を出してきた:小さな兆しから始まった。最初は戸惑った
  • ③ 僕が「受け取る」を覚えた:技術でなく気持ちの切り替え。「降ろされる」のではなく「信頼を差し出されている」と分かるまで時間がかかった
  • そして今は、日によって、流れによって、攻守が自然に決まる。役割は緩く着られている
  • 対等になると、ふたりの可能性を使える幅が広がる

固定の関係を否定したいわけじゃありません。
固定が合うふたりは、それで続いていけばいい。
ただ、もし相手が「逆をやってみたい」と言い出した夜に出会ったとしたら――それは、関係の乱れではなく、たぶん育ちの兆しです。

戸惑いを越えて受け取れた先に、僕らはここにいます。
ふたりの形は、これからも少しずつ変わっていくと思います。

この記事を書いた人

「女の子にひどいことなんてできない」——そう思っていた僕が、彼女とSM・D/sを学んできた記録。合意と安全のことを、等身大で綴っています。

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