ありがとう、と言う人――受け身に見える彼女が、自分から動いた夜のこと

今日は、ある夜のことを書きます。
といっても、劇的な夜ではありません。

先に正直に言っておくと、これは「人生が変わった一夜」みたいな話ではないんです。
あとから振り返ると、つい特別な意味づけをしたくなるけれど、実際にはその夜も、いつも通りに始まって、いつも通りに終わりました。
ただ、その途中に小さな引っかかりがあって、それが彼女という人をよく表しているなと、今になって思います。
だから書き残しておきたくなりました。

きっかけは、ほんの些細なことでした。
前戯の半ばで、彼女がふいに、いつもより少しだけ大胆に、自分のほうから仕掛けてきたんです。
「こうしてほしい」と言葉でねだる前に、先に自分から動いて見せる。
そういう仕掛け方でした。具体的なことはここには書きません。
書くと急に生々しくなるし、これは僕が「書いてもいい」と思える範囲で残しておきたいので。

驚きました。彼女にしては、わりと大胆なことだったから。
でも、驚きのすぐあとに来たのは、嬉しさのほうでした。
それだけ心を開いてくれているんだな、と感じられたからです。

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彼女は、たぶん「受け手」の人です

うちの彼女は、普段そんなに意地悪をしてくる人ではありません。
どちらかというと、素直におねだりするほうが多い。
根っこは受け手側なんだと思います。

日によっては、僕がリードしてそのまま進んで、彼女はただ身を委ねているだけ、という夜もあります。
それで申し訳なさそうにするどころか、終わったあとに「いっぱいしてくれてありがとう」と言う。
ときには「今日はなにもしてあげられなくてごめんね」とまで言う人です。
受け手でいることに、ちゃんと満たされている。

でも、受け身イコール何もしない、ではありません。
彼女はわりと積極的に、自分からもしてくれます。
それは性欲が人一倍強いからとか、攻める側に回りたいからとかではなくて、たぶん「奉仕することが好き」なんだと思います。
役に立てると嬉しい。喜んでもらえると満たされる。受け手でありながら、自分から与えることに喜びを感じる人。
このあたりの、受け手なのに能動的という心理は「必要とされる、という喜び」にも書きました。

フェムドムというのとも、たぶん少し違います。
支配したいわけではなくて、相手に気持ちよくなってほしい、その気持ちが強いだけ。
同じ「自分から動く」でも、支配したくて動くのと、奉仕したくて動くのとでは、立場の向きが逆なんですよね。
そのあたりは「同じ行為でも、立場が逆になる」に書いたことと地続きです。

あの夜の「自分から」も、その延長でした

あの夜、彼女が先に動いて見せたのも、たぶんこの「奉仕したい」気持ちの延長だったのだと思います。

ちょっとしたいたずら心と、「自分も同じようにしてほしい」という願いが混ざっていて、だから言葉で頼む前に、まず行動のほうで示した。
事実そのあと、彼女は「逆もして」と言ってきました。
してほしいことを、先に自分から差し出してから、ねだる。
そういう順番だったんです。

これは彼女らしいな、と思いました。
欲しいものを、ただ要求するのではなくて、まず自分が与えてから求める。
奉仕が好きな人の「ねだり方」なんだなと。

正直に書くと、こうやって先に行動で示されてからねだられると、受け取るこちらの火のつき方が、少し変わります。
普通に言葉で「◯◯して」とお願いされるのとは違う。
なんというか、ちゃんと応えたくなる。
少し本気を出したくなる。燃える、に近い感覚です。

ただ、ここも包み隠さず書いておきます。
そう書くと、その夜が激しいなにかに転がっていったように聞こえるけれど、そんなことはありませんでした。
火がついたのは事実だけど、そのあとは二人でいつものように続けて、いつものように終わりました。
それでよかったんです。盛り上がりの最高到達点を更新することが、いい夜の条件ではないので。

「受け取る側」に回るのは、新鮮でした

僕はもともと、尽くす側の人間です。
相手が喜んでくれることが、そのまま自分の喜びになる。
だから普段は、与えるほうばかりに回りがちでした。

その僕が、彼女のほうから差し出されて、受け取る側に回る。
これが、自分でも意外なくらい嬉しかったんです。

普段は遠慮して受け取れない人間なので、「どうぞ」と先に差し出されると、素直に受け取れる。
そして受け取ってみると、それが彼女にとっての喜びにもなっている。
与えることだけが優しさだと思っていた僕には、これはちょっとした発見でした。

ちなみに、いつも尽くす側だった僕が、自分から「ほしい」と求められるようになっていった話は、別の記事に書きました(「『ほしい』と言えた夜」)。
あの夜は僕が求める側で、この夜は彼女が差し出す側。
ちょうど鏡のように、対になっています。
尽くすことと、主導権を握ることは矛盾しない――その感覚は「サービス・ドムとは」にも通じています。

それに、受け取る側に回ってみて、ひとつ気づいたことがありました。
僕は核のところでは導く側の人間だけれど、ときには委ねること、受け取ることも、案外心地いい。
自分のなかにそういう柔らかい面もあるんだな、と。決めつけるつもりはありません。
ただ、攻める・受けるをきっぱり分けなくてもいいんだな、と肩の力が抜けた感じでした。

お互いさま、ということ

彼女が奉仕してくれることに対して、僕はすごくありがたいなと思っています。
そして、その分だけ、自分も気持ちよくしてあげたいなと思う。
たぶんこれが、いちばん書きたかったことです。

役割の言葉で語ると、関係は一方通行に見えます。
与える人と、受け取る人。支配する人と、される人。
でも実際は、もっと往復しています。
この「力を渡し合う」感覚そのものは「パワーエクスチェンジとは」に書きました。

だから僕は、彼女が「ありがとう」と言ってくれるたびに、「もっとちゃんと応えたい」と思うんです。
僕が受け取れば、それが彼女の喜びになる。彼女が差し出せば、僕の火がつく。
その小さなやり取りの往復こそが、たぶん僕らの「お互いさま」なんだと思います。

受け身の人の、静かな能動を

これはあくまで、僕らの場合の話です。
正解ではないし、こうあるべきという話でもありません。

でも、もしあなたのパートナーが「受け身」に見えていても、それは「何も望んでいない」とか「ただ流されているだけ」という意味ではないかもしれません。
受け身の人が、ときどき見せる小さな自発。
先に差し出してから、ねだる。
何もできなかった日に、ありがとうと言う。
そういう静かな能動を、見逃さないでいたいなと思うんです。

役割は、固定された一方通行ではなくて、もっと行ったり来たりするもの。
あの夜の小さな引っかかりを思い出しながら、そんなことを考えています。

この記事を書いた人

「女の子にひどいことなんてできない」——そう思っていた僕が、彼女とSM・D/sを学んできた記録。合意と安全のことを、等身大で綴っています。

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