BDSMテストを受けたとき、結果の中に「エクスペリメンタリスト(Experimentalist)」という項目があります。
日本語にすると「実験的」「試してみたい人」くらいの意味で、数値が高い人もいれば、低い人もいる。
このページは、そのエクスペリメンタリストという性質を、ひとつずつ言葉にしておく記事です。
他のタイプ語(リガー、ロープバニー、ブラットなど)と少し違う読み方をする項目なので、丁寧に扱いたい。
エクスペリメンタリストって、特定の行為のことじゃない
まず、ここをはっきりさせておきたいんです。
他のタイプ語は、たいてい何をするか/されるかを指しています。
- リガー=縄をかける側
- ロープバニー=縛られる側
- ヴォワイヤー=見ることに惹かれる側
- マゾヒスト=痛みを受けることに快を感じる側
ところがエクスペリメンタリストは、行為そのものを指していません。
これは「どんな向き合い方をする人か」を表す、性質の言葉です。
- 知らない行為に対して、頭ごなしに拒まず、「ちょっと試してみる」が選べる
- ふたりで合意できる範囲なら、相性を確かめてから判断したい
- 「自分はこういうのが好きだ」と決めつけるよりも、まだ知らない自分に開かれている
要するに、好奇心と柔軟さの度合いみたいなものです。
だから、「エクスペリメンタリストの夜」とか「エクスペリメンタリスト用のグッズ」みたいなものは、存在しません。
何をするか、ではなく、何にどう構えるか――そういう性質の言葉です。
なぜ、この性質に光が当たるのか
BDSMやD/sの世界では、この「試してみたい」という構えが、結構大きな力を持ちます。
理由は、たぶん3つあります。
ひとつは、自分の本当の好みは、やってみないと分からないから。
頭で考えて「これは好きそう」「これは無理そう」と決めても、いざ試すと逆だったということが、よくあります。
BDSMテストの結果が、実際にやってみた感触と少しズレているのは、たぶんこのためです。
試す前提を持っている人ほど、自分の地図は早く正確になっていきます。
ふたつめは、ふたりの相性は、対話だけでは見えないから。
「これは気になる/これは無理」をリストにして話すのは、合意の土台としてとても大事です。
でも、リストで「気になる」がついたものは、結局やってみないと、ふたりに合うかは分からない。
試す構えを持っている人がふたりに一人でもいると、関係はゆっくり広がっていきます。
みっつめは、「決めつけ」は、ふたりを早く縮めてしまうから。
「私はサブだから」「あなたはこのタイプじゃないから」と早めにラベルを貼ると、未経験のことが選択肢から消えていきます。
ふたりとも”スイッチ”かもしれないのような発見も、決めつけのなかでは起こりません。
未知への態度が、ふたりの可能性そのものになることがあります。
ただし――「試したい」は、相手への口実にしない
ここから、たぶんこの記事のいちばん大事な話をします。
エクスペリメンタリストの数値が高い人は、ときどき、こういう言い方をしてしまうことがあります。
「自分はエクスペリメンタリストだから、付き合ってよ」
「試してみたら分かるから、まずやってみよう」
これは、合意ではありません。
「テストでこう出たから」を相手への強制の口実に使わないというのは、エクスペリメンタリストにこそ強く当てはまります。
自分が「試したい」のは、自分の自由です。
でも相手にとって、それがまだ無理であるならば、その「無理」はエクスペリメンタリストの数値では押し流せない。
押し流したら、それは「試したい」ではなく、「自分の好奇心を相手で満たしたい」になります。
「試したい」と、「合意の上で試させてもらう」は、似ているようでまったく別の構えです。
前者は自分の願望、後者はふたりの合意。
エクスペリメンタリストの本当の意味は、後者のほうにある、と僕は思っています。
ハードリミットは、エクスペリメンタリストにも生きる
もうひとつ、誤読されやすいところを書いておきます。
「試してみたい」と「何でもOK」は、別物です。
エクスペリメンタリストの数値が高い人にも、ちゃんとハードリミット――絶対に試したくない領域――はあっていいし、あるべきです。
ハードリミットとソフトリミットの考え方は、エクスペリメンタリストと矛盾しません。
むしろ、自分の中の「ここは試さない」を持っているからこそ、「ここは試してみてもいい」が選べる。
線が引けている人だけが、安全に試せます。
「エクスペリメンタリストだから何でも受け入れる」は誤読。
エクスペリメンタリスト=開かれているけれど、線は引ける人。これが正しい構えです。
相手の数値が低かったら
ふたりでテストを受けると、エクスペリメンタリストの数値に差が出ることもあります。
自分は高くて、相手は低い、というパターン。
このとき、こう感じる人がいるかもしれません。
「相手は閉じている」「もっと試したいのに、合わない」と。
でも、これは違う読み方ができます。
エクスペリメンタリストの数値が低いというのは、「決まったものを愛したい/落ち着いた関係を好む」という別の性質です。
劣っているわけでも、こわがっているわけでもない。
ふたりの関係には、たぶん両方が必要です。
試したい人ばかりだと地に足がつきにくくなるし、決まったものを愛したい人ばかりだと広がりにくい。
D/sの濃さも、その夜のテンションも、ふたりで決めていけばいいのと同じで、エクスペリメンタリスト性も、ふたりで一つの強さとして持っていればよかったりします。
数値が違ったら、まずはふたりで話す。
「自分はこれを試してみたい」「自分はここまでなら」とお互いの線を出して、重なるところから試す。
重ならないものは、保留にしていい。
試したあとの「無理だった」を、笑って受け止める
エクスペリメンタリストとして大事な作法をひとつ。
試してみて、合わなかった時。
「無理だった」「思ったほどよくなかった」「もう一回はやらないかも」と言われた時。
そこで「えー、せっかく試したのに」「もっとちゃんとやってみないと」と詰めると、エクスペリメンタリストの土台は壊れます。
試して合わなかったら、ふたりとも”よかった、確かめられて”と思えること――これが、試す構えを長く続けるコツだと思っています。
「痛い・無理を、ありがとうで受け止める」のと、地続きの話です。
試す構えと、相手のNOを尊重する構えは、必ずセットでないと機能しません。
僕らの場合
僕自身、テストを受けてみて、このエクスペリメンタリストの項目は印象に残るくらいには出ていました。
正直、最初は「ふーん、そういう傾向か」くらいの受け止めだったんです。
でも振り返ってみると、僕らの関係が広がってきたのは、たしかに「試してみる」が選べたからでした。
首輪を買ってみる、目隠しをつけてみる、リードを引いて家を歩いてみる――
そのどれもが、最初は「試してみる」だったんです。
試して、合えば残して、合わなければやめる。
それを繰り返してきたら、いま、僕らはここにいる。
ただ、ここまで書いてきたとおり、試したい気持ちは僕の側のもので、彼女に押し付けたわけではありません。
「ちょっと試してみてもいい?」と聞いて、彼女が「いいよ」と言ってくれた時だけ、進んできました。
僕が「自分はエクスペリメンタリストだから」と振り回していたら、たぶん今みたいな関係にはなっていなかったと思います。
数値は、僕に押した背中。
でも、押す方向を決めたのは、いつもふたりの会話のほうでした。
まとめ
- エクスペリメンタリスト=行為の名前ではなく「向き合い方の性質」。「試してみたい」「決めつけたくない」という構えのこと
- この性質が大事な理由は、自分の好みも・ふたりの相性も、やってみないと分からないから。決めつけはふたりを早く縮めてしまう
- ただし、「自分はエクスペリメンタリストだから付き合って」は合意ではない。試したいのは自分の自由、試させてもらうにはふたりの合意がいる
- エクスペリメンタリスト=開かれているけれど、線は引ける人。ハードリミットは消えない・むしろあって当然
- 相手の数値が低くても、それは「閉じている」ではなく「決まったものを愛したい」性質。ふたりで一つの強さとして持つ
- 試して合わなかった時は「確かめられてよかったね」と受け止める。試す構えと、NOを尊重する構えは、必ずセット
「試してみたい」は、いちばん伸びる性質です。
でもそれは、相手のNOをきちんと受け取れる人にだけ、本当に開かれている性質でもあります。
数値が高かった人は、その重さも一緒に持って帰ってもらえたら嬉しいです。

