「ひどくすること」が支配じゃない――やさしい支配のかたち

「女の子に、ひどいことなんてできない」

ずっと、そう思って生きてきました。
だから「SのDom」みたいな話は、最初、自分とはいちばん遠い世界の言葉でした。

この記事は、そんな僕が、彼女と一緒に「支配」というものと折り合っていった話です。
正解を語るつもりはありません。今も僕は答えを探している途中です。ただ、同じように「自分には支配なんて無理だ」と思っている人に、ひとつの見方として届けばいいなと思って書いています。

目次

「ひどいことはしない」は、当たり前のことだった

もともと僕は、人に暴力をふるったり、暴言を吐いたりするタイプではありません。
自分がそういう扱いを受けるのも嫌だから、自分がされて嫌なことは人にもしない。たぶん、多くの人と同じで、当たり前のことだと思っています。

特に、女の子に対して乱暴にするなんて論外でした。
繊細な相手をていねいに扱うこと——それが自分の中の「かっこいい男」の像で、ちょっとした美学のようなものだったんだと思います。

今の彼女と付き合いはじめてからも、それは変わりませんでした。
普段の生活でも、夜の時間でも、相手の嫌がることはしない。ていねいに接する。そういうふうにやってきました。

だから当時の僕にとって、「支配」とか「責める」とかいう言葉は、自分の価値観の真逆にあるものでした。

きっかけは、彼女のほうからだった

付き合って何度か体を重ねるうちに、関係は少しずつ深まっていきました。
マンネリだったわけではありません。むしろ逆で、回を重ねるたびに新しい発見があって、お互いの体の相性が育っていく——まだまだ成長の途中、という感覚でした。

僕らはもともと、そういうことを普段からよく話します。
「こうしてほしい」と彼女が言ってくれることもあれば、「こういうのはどう?」と僕から提案することもある。その会話の延長線上で、彼女のほうから、こんな気持ちを打ち明けてくれたんです。

——支配されてみたい、と。

そのとき初めて、「ああ、この子にはそういう願望があるんだな」と気づきました。
正直、最初は少し戸惑いました。自分の中にない感覚だったからです。
でも、応えているうちに、だんだん考えが変わっていきました。

相手が求めていることに応えて、相手が喜んでくれる。それなら、それは僕にとっても嬉しいことだ。

そう思えたとき、抵抗はほどけていきました。
ふたりでアダルトグッズの店をのぞいたり、動画を一緒に観て「これ試してみたいね」と言い合ったり。そうやって新しいことに踏み出すうちに、僕自身にも興味が湧いてきて、ネットでいろいろ調べるようになりました。
BDSM、ドミナント、サブミッシブ、D/s——そういう世界と言葉があることを、そこで知りました。

最初の勘違い――「Mだから、痛いのが好き」だと思っていた

彼女に「支配されたい」願望があると知って、僕が最初に思い浮かべたのは、漫画やAVのイメージでした。
叩いたり、痛めつけたり、過激に責めたり——きっとそういうことを求めているんだろう、と。

でも、実際に近づけてみると、ぜんぜん違いました。

痛すぎる刺激は、彼女は本気で嫌がる。「これは違う」とすぐに言ってもらえる関係だったから、分かったことです。
強く否定するような言葉責めをしてみたときも、悲しい顔になったり、気持ちが萎えてしまったりして、彼女がそれを正直に教えてくれました。

そこで僕が気づいたのは、「やりすぎた」という量の問題ではなかった、ということです。
やりすぎたんじゃなくて、軸がずれていた。
彼女が求めていた「支配」と、僕がイメージしていた「支配」は、強さの度合いが違ったのではなく、向いている方向そのものが違ったんです。

支配とは、相手の上に立って「導く」こと

そこから、僕の中で支配のイメージが変わっていきました。

AVの真似をして、ひどいことをするのが支配なんじゃない。
支配するというのは、相手の上に立つということ。そして上に立つというのは、厳しくすることと同じではない——そう思うようになりました。

たとえば、会社の上司を思い浮かべてみてください。
きついことを言うだけの上司、いわゆるパワハラ上司には、尊敬の気持ちは湧きません。従いたいとも思えない。
でも、ちゃんと導いてくれて、ときに優しい言葉をかけてくれる上司には、「この人についていきたい」と思える。尊敬できるし、自然と従いたくなる。

支配も、同じだと思うんです。
相手が安心して身をあずけたくなるから、結果として主導権がこちらに渡る。 怖がらせて言うことを聞かせるのとは、まるで逆の順番です。

あとから知ったことですが、海外のD/s論でも、支配(ドミナンス)は「残酷さ」ではなく、信頼と合意の上に成り立つリーダーシップとして語られることが多いようです。導く側は、相手を支配すると同時に、相手の心と体を守る責任を負う。相手のことをいちばんに考えながら、力を使う。
自分が手探りでたどり着いた感覚に、ちゃんと名前と背骨があったことを知って、少しほっとしました。

——同じ行為でも、立っている位置で意味が真逆になる話は「同じ行為なのに、真逆」で、主導権を握ったまま相手に尽くす型については「サービス・ドム」で、もう少し掘り下げています。

これが、今の僕にとっての「やさしい支配」の中身です。
——もちろん、これは僕個人の考えで、世間の正解とは違うかもしれません。今もまだ勉強しているし、これから変わっていくかもしれない。でも、現時点ではそう思っています。

相手から見た「やさしい支配」

僕は、自分が正しくできているかを、自分では決められません。
それを教えてくれるのは、いつも彼女のほうです。

もともと彼女が「こうしてほしい」と言ってくれたことに、僕が応えている。
彼女が喜びそうなことを探して、試している。
だから、たぶん喜んでくれている——と思っています。

そして、間違えたときややりすぎたときは、彼女がちゃんと教えてくれる。
そのために大事なのは、「それ、ちょっと違う」と言いやすい空気を、ふたりで作っておくことだと思っています。
言いにくい関係のままでは、支配は簡単に「ただの押しつけ」に変わってしまう。だから僕は、今も慎重に、彼女の反応を確かめながら進めています。

やさしい支配は、一度たどり着いて終わり、というものではなくて。
ふたりで会話を続けながら、その都度すり合わせていく——そういう、終わりのない運用なんだと思います。

まとめ

  • 「ひどいことができない」人は、支配に向いていないわけではありません。むしろ、相手を大事にできる人ほど、やさしい支配に向いているんじゃないか——と、僕は思います
  • 支配=痛めつけること、ではない。相手の上に立って導く責任のこと
  • 大事なのは強さの度合いではなく、向いている方向(軸)。怖がらせるのではなく、安心して身をあずけたくなるから、主導権が渡る
  • 正しくできているかは、相手が教えてくれる。だから「違う」と言いやすい空気を、ふたりで作っておく
  • これは答えではなく、僕の現在地です。やさしい支配は、ふたりで続けていく運用です

「自分には支配なんて無理だ」と思っていた人へ。
あなたのその優しさは、欠点ではありません。たぶん、いちばんの素質です。

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